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2012-10
Go!Go! カズ
- 2012-10-28 (日)
- 日記
ここ数日、ニュースから目が離せない!
維新との連携?石原新党?
いいえ、キングカズの話題です。
三浦知良。日本の「最年長」プロサッカー選手、その人が、念願の悲願のW杯の舞台に立つことができるのです。
1993年W杯アジア最終予選で、イラクと引き分け。日本サッカー界の悲願であるW杯出場の道がその瞬間に絶たれてしまった。私も画面に張り付き、日本中が茫然となった。
次こそはと臨んだ1998年。フランスW杯の直前に、登録メンバーから外され、W杯に出場することはなかった。そんな馬鹿な・・・・日本中が驚いた。
しかし、彼は諦めなかった。
クロアチア・オーストラリアそして日本の様々なクラブチームに移籍を余儀なくされたが、ピッチに立ち続けることを止めようとはしなかった。
そして掴んだ「フットサルワールドカップ」のメンバーというポジション。サッカーファンでなくても、45歳の彼の活躍に、勇気をそして希望を見出しているに違いない。
私が彼を初めて知ったのは、大学時代に読んだ雑誌の記事であった。高校修了を待たずして、ブラジルに単身渡航。ブラジル中を渡り歩きながら、サッカーの技術を磨いている先駆者という設定であった。
同世代の私には彼の行動が信じられなかった。不思議だった。バブルの時代、日本にプロサッカー選手などいない、Jリーグなど微塵のかけらもない中で、なぜそこまでサッカーに命をかけられるのか理解できなかった。しかし、「只者ではない・・・」そう思ったことを覚えている。
彼は、ゆるぐことない信念の人なのである。「諦める」という言葉は彼の辞書にないのかもしれない。そして、これこそ、日本人の底力・神風の原点なのかもしれない。
信念のないところに、神風は吹くことはない。
努力・がんばる・我慢・・・・
若い人からしてみると、カッコ悪いこと、死語なのかもしれない。しかし、私は彼の生き方を支持したい。
11月1日、ついにその日はやってくる。今から彼の活躍が待ち遠しい。
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ノーベル賞には届かないけれど
- 2012-10-09 (火)
- 日記
山中伸弥教授のノーベル生理学・医学賞受賞は大きな喜びを日本中に与えてくれた。運転中に入ってきたニュースに、私もハンドルそっちのけで、ガッツポーズをしてしまった。
私も、この受賞に対し、自分の歩むべき道を再確認している。
医師になり1年目になるまで、「あなたの夢は何ですか?」と尋ねられると、「がんの治療薬を発見し、ノーベル賞を取ることです」と本気で答えていた。
しかし、多くの患者さんをがんで看取るうちに、気が付いた。人間、皆、いつかは死が訪れるのだ。今、必要なのは、がんの治療薬ではなく、「いい人生であった」とおだやかな最期を患者さんに迎えていただくための病院・施設・スタッフ・仕組みなのだと。
その頃、数少ないホスピスでは、資金難でボランティア頼みの運営を行い、ケアに重点を置いた緩和ケアでは、看護師が自分たちのカンパで、ハーブオイルを購入し、患者さんのためのマッサージを行っていた。
診療報酬など、国で一律に価格が決められる医療行為。その仕組みの不透明さや、医療の質を高めるための専門医制度の矛盾。調べれば調べる程、将来の医療に不安を感じ、一念発起して医療政策の大学院に入学し、医療制度の闇を学んできた。
そして、公募でチャンスを掴んだ特区の評価委員という審議会委員のポジション。そこではさらに、政府に対する不信感と既得権益に依存する政治家や官僚への怒りが募るだけであった。
「あなたのミッションはなんですか?」今、そう問われたら、何の迷いもなく応えるだろう。
誰もが「幸せだった」と笑顔で最期の時を迎えられる日本を創ることだと。
もしかしたら、ノーベル賞をもらうよりも、もっともっと壮大な夢に挑戦しようとしているのかもしれない。
しかし、私の生き様を見て、子どもたちが、『世界中の誰もが「幸せ」を感じられる世の中を創り出したい』とさらに夢を広げてくれたら、母の本懐かな?横にいるチビは新聞を見ながら、「iPSってな~に?」と無邪気に尋ねてくる。私もまだまだ努力が足りないな。
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ミッチー語録
- 2012-10-06 (土)
- 日記
「みんなの党、維新との選挙協力を歓迎 渡辺代表が会見」と報じられ、ツイッターなどでも賛否両論、様々なご意見をいただいている。
振られた恋人からのラブコールに喜んでいるような表現であるが、この会見の肝はそんな陳腐なところにあるのではないと思う。
「政治は8割の合理性と2割の非合理性でやるべきであります。つまり8割はどうやったら相乗効果が発揮できるか,それが日本の政治の大転換に繋がるか、ということで考えるべきであって、好きだ嫌いだコンチクショ―というのは人間の世界ですからどこにでもありますよ。そういうのは2割くらいに留めておけ、というのが私が教わったミッチー語録であります。」(10月5日代表会見より)
この会見を見て、私ははたと気づいた。
まさに今、政治家として問われているのは合理的判断能力なのだ。
現在起こっている領土問題も、原発事故の問題も、復興支援の問題も、非合理的な議論が先走り、大目的を見失っている。
日本の国土を守り、国民の命と財産を守るという政治家の使命を果たしている人間が、どのくらいいるのだろうか?
皆、目的と手段を見間違い、目先のことに意識を奪われてしまっている。
権力や政局にとらわれず、合理的に大局的に物事を考えることの難しさ。
それができてこそ、初めて政治家と名乗る資格が生まれるのだと。
一つ一つの情報に惑わされず、目的に向かって、日々着実に歩んでいこう!
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