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2010-07

水道使用量と地域の絆(きずな)

臨時国会が始まりまし。多くの皆さまから、メールもいただきました。「くやしい・・・」「絶対今度は!」本当にありがとございます。

自分でも、どんな気持ちでこの日を迎えるのだろうと思っておりました。しかし、全く何の後悔もなく、「みんなの党」で再び挑戦したいという期待が胸いっぱいに広がっています。このブログにも毎日書き込んできますが、毎日起こる様々なニュースにしっかりと目を留め、これからの政治を考えてまいります。貴重な勉強の時間を頂きました。

さて、今日は、東京で起こった摩訶不思議な事件です。
 東京都足立区の民家寝室で、全国長寿の上位で都内最高齢の111歳だった加藤宗現さんとみられるミイラ化した遺体が見つかった事件です。加藤さんは約30年前から「即身成仏したい」と飲まず食わずで、自室に閉じこもったまま。普通、誰が考えても、その状態で生きているわけがありません。しかし、同居している4人家族はこれまで「家の中で寝ている」「他県で生活している」と説明し、区の職員も面会することもできなかったようです。この間、区では、「生きがい奨励金」や「元気高齢者表彰」などを支給。妻の遺族年金計約950万円も、家族は受け取っていました。

民生委員が「安否確認ができない」と今年の1月に区に相談。介護保険の認定申請が一度もされていないこと、医療関係の保険が少なくとも過去5年間使われていないことが判明。区や警察の働きかけによって、やっと御家族から情報を得ることができ、今回の事件発覚となりました。

昨日報道された大阪での3歳1歳の子どものネグレクト(育児放棄)の末の死。何度も児童相談所や警察に通報があった、周囲が明らかにおかしいと訴えていたにも関わらず、その命を救うことはできませんでした。
どうなっているのでしょうか?地域の絆は完全に絶たれてしまったのでしょうか?「家庭」そのものが壊れている家族が多い今、周囲はもう一歩「家庭」に踏み込んだ関わりを持つべきではないでしょうか。「30年も生死が分からない」「夜中に異常な声で、子どもが泣き叫んでいる」それでもプライバシーの侵害を主張するのでしょうか?そんなことを言っている時代ではなくなってしまったと私は考えています。

先日、水道のメータ測定の係の方が家のインターホンを押しました。
「先月、水道の使用量が減っていますが、大丈夫ですか?」「はい、変わりありませんよ」

その時には、「水道の使用量が増え、漏水を心配するならまだしも、なぜ?」と思っていましたが、この事件で分かりました。小さな一つ一つの確認で、家族のことを心配してくださったのですね。測定員の方に感謝!そして、このような「小さなおせっかい」が地域の絆を取り戻す「かすがい」になるのだと実感しました。

「最小不幸社会」、本当にそれでいいの?

遠藤健一さん17歳、「国際化学オリンピック」で昨年に引き続き金メダル!
夏休み、明るいニュースが飛び込んできました。ワイドショーでも、もっと取り上げてくれたらいいのに、そう思います。

昨年度は英国で開催された大会でも、彼は金メダルを受賞しています。そして今年、初めて日本を会場とし、世界68カ国・地域の高校生267人が化学の実力を競いました。日本代表の4人は2人が金メダル、2人が銀メダルを獲得!2003年以来8回目で最高の成績となったのです。

そもそも、「そんなオリンピックがあったの?」と思われる方も多いのではないでしょうか。実は、皆さまが中高生の年代にも、すでに開催されていたオリンピックなのです。

「国際科学オリンピック」は、世界中の中等教育課程にある生徒(日本では主に高校生に相当)を対象にした科学技術に関する国際的なコンテストです。「知のオリンピック」とも呼ばれています。初めての開催は、1959年の数学オリンピック。その後、各国の持ち回りで毎年開催されています。

主な目的は、この国際的な科学コンテストを通してすべての国の科学的才能に恵まれた子どもたちを見出し、その才能を伸ばすチャンスを与えること、その才能を伸ばすこと、国際交流・国際理解を深めること。教科、科目、分野は、数学、物理、化学、情報、生物学、天文学、地学です。

大会当日は、通常、それぞれ5時間に及ぶ理論問題(全科目共通)と実験問題(物理、化学、生物学)が出題され個人戦として競われ、総合成績の順に金メダル(上位ほぼ1割)、銀メダル(次の2割)、銅メダル(次の3割)がそれぞれ贈られます。

一人の母親・一人の教育者として、「どんな教育を受けてきたのだろう」「いつから、その才能が花開いたのだろう」と興味津津。

しかし、日本の教育システムの中では、彼らの「科学者としての芽」をさらに伸ばすだけの場を提供することができません。そして、第二の小さな科学者を育てることも容易ではありません。学校で要求されるのは、「皆と一緒」の概念。出る杭は打たれる教育です。良い意味で、教員の手に負えない子供達は「変わり者」扱い。

今、教育現場で問題にしなければならないのは、「落ちこぼれ」ではなく、「吹きこぼれ」なのです。明日の日本の技術革新を支えるのは、彼らなのです。国として早々に「吹きこぼれ対策」を講じなければ、手遅れになってしまいます。

今、日本が目指さねばならないものは、「最小不幸社会」なのでしょうか?「自律・自立した個性の社会」の方が、明るい未来を感じませんか?

危機管理も牛歩戦術?

いつも温かなコメントをいただき、ありがとうございます。わたくしのブログをきっかけに、輪が広がってくだされば幸いです。残念ながら個人個人の皆様へお返事することはできませんが、御意見・御感想・その他のご発言は勉強になるものばかりでございます。心から感謝申し上げます。

さて、今日は口蹄疫の話題です。いよいよ宮崎県でも27日午後0時、すべての家畜の移動宣言が解除され、公の施設も開放されたようです。夏休みの子供達もホッとしていることでしょう。

同じ感染症を診る医師として、どうしても一言言いたい!

最初に感染疑いが確認された4月20日にはすでに十数戸に感染が広がっていた。県の殺処分は遅れ、感染拡大に至った。県と国の責任があいまいであった。感染初期に使われた消毒薬は口蹄疫に効果がないものだった。

それに対し、「早い届け出があれば、初動対応ができた」「危機感が薄かった」と農水省からも声が上がっているようですが、ちょっと待ってください。4月からここまで国は、何をやっていたのでしょうか。子牛出荷再開は2~3年先など、畜産王国復帰まで、これからも続く深刻な被害にもかかわらず、これから対策を考えるというのです。

日本政府が弱いこと、それは「危機管理」です。このスピードの遅さといったら牛歩なみ。

昨日、やっと、農林水産省は有識者で構成する「口蹄疫対策検証委員会」を省内に設置しました。8月5日の初会合を開くそうです。宮崎県で発生した口蹄疫問題について、初動対応や防疫措置のあり方、危機管理体制などについて学者や弁護士ら有識者9人が検証し、来年度行われる通常国会に、家畜伝染病予防法改正案を提出すると報じられています。イギリスで発生したときには、当時のブレア首相が陣頭指揮を取り、選挙まで遅らせて口蹄疫対策に当たりました。それと比較して、この国の総理大臣は、どのような対応をしたのでしょうか。

なぜ、問題が発生し、すぐに政治家や官僚ではなく、専門家を集めた「国家口蹄疫対策委員会」を設けなかったのですか。法律云々言っている時ではなく、国が強いリーダーシップのもと、後手後手ではなく、先々を見越した現場の対策を打っていくことがなぜ出来なかったのでしょうか。

感染症と言えば、係員が、宇宙服のように物々しい服装で飛行機に乗り込み、成田空港を占拠した新型インフルエンザの大騒動も記憶に新しいところ。全くその時の反省が活かされていません。

選挙向けのパフォーマンスはもう沢山。この国には、リーダーが不在だと言われても仕方ありません。日本の危機管理体制は、まだまだ、問題山積のようです。

一人一人の責任

相撲の不祥事や熱中症などの記事の中にも、毎日のように虐待事件が報道されています。一人の母親として悲しくもあり、また分かるような気もして心が痛みます。

25日に新聞報道され、今日もテレビで各社が取り上げていた事件は、目を覆いたくなるものでした。
「1歳を箱に 窒息死」

「夜泣きがうるさいから?そんな理由で?こんなことは稀なのだろう」と思わないでください。年間50~60件の虐待死、それが日本の現実です。週に一人が虐待で死亡しているのです。「なぜ止められなかったのか」「近隣の人が気づくはずだ」でも止められなかったのです。小学生への虐待も、学校が通報しなかったり、児童相談所の職員が「もう二度とやらない」という親の言葉を信じ、失われてしまった命も大きいのです。子供はどんなに酷い扱いをうけても、最後まで親をかばい、大切な存在として敬う。その純粋な心を逆手に取ったこれらの行為は許されることはありません。

それとは逆に、親を殺害する子供達も。
「親殺し合う計画、裏切ったら殺す」約束 宝塚女子中学生放火

これでは、親は怖くて、子供達を注意することもできません。我が家もどちらかというと口煩い母親だと子供達には思われています。しかし、私は働く母。私一人で孤軍奮闘して、子育てをしてきた実感がありません。周囲や地域の皆さまが上手に子供達を育ててくださいました。だからこそ、今の彼らがあるのです。他人から言われて初めて「効く」ことも多いのです。本来、親の背中は「子供達に見せるべきもの」であり、「見せるのが怖い」と思う所ではないはずです。

一体、日本社会はどうしてしまったのでしょうか。私も10年間「いのちを大切にする授業」を愛知で行ってきましたが、ここ数年の「いのち」の扱われ方は酷すぎます。何が起こっているのか、立ち止まって考えてみたい、そう思っていたところに、新たなニュース。

厚生労働省は、2009年の日本人の平均寿命が女性86・44歳、男性79・59歳で、いずれも4年連続で過去最高を更新したと発表。

長寿であればいいのか、寿命が延び、本当に日本人は幸せになったのでしょうか?幸せの尺度は人それぞれ違うもの。しかし、自分のことしか考えない大人達、瞳が曇った子供達や「生き場」がなくなった老人が増えることが、この国に何をもたらすのでしょうか。

これから、どんな日本社会を目指そうとしているのか、もう一度、原点に戻り、私たち一人一人が考える必要があるのではないでしょうか。それは政治家や教員の仕事ではないはずです。

鯛と若者





今日は、知多半島をめぐってきました。いつもの変わらぬ皆さまの笑顔に包まれ、東海市、知多市・常滑市・南知多・美浜でも、マイクを持ちながら楽しい遊説をさせていただきました。

そこへ、一台のプリウスが近づいてきました。後ろの席から手を振っている男性。いつものように「ありがとうございます!」でも、少し様子が違います。車の速度を落とし、近づいてきます。これはもしや・・・。でも、真面目そうな男性が、窓を開け、一生懸命にこちらに合図を送っています。

「前衆議院の伊藤忠彦です~。」
条件反射でこちらも、「お互いがんばりましょう!」

そうです。私一人ではないのです。信じた道を一生懸命に歩もうとしている仲間がここにもいました。きっと地元を回るのでしょう。ポロシャツ姿で勇ましくプリウスで去って行きました。一瞬で心が通う、こんな出会いも素敵です。

南知多で生まれ育った尾張旭市議会議員の山下先生に案内していただき、噂の「鯛まつり」へ寄り道です。

鯛まつりは豊浜海岸で行われます。主役は10~18mの竹と木の骨組みに白木綿をまいて作った重さ1トンを超す鯛。若者に担がれ、町内を練り歩き海に入ります。明治18年頃には、「ハツカネズミ」の張りぼてだったものが、大正初期に「大鯛」となり、昭和初期には海に泳がせるようになったそうです。

豊浜に近づいてきたら町は鯛一色。そして、想像以上のその大きさにも言葉がありません。
山下先生曰く、「昔は、うちの山に若い衆が竹を取りに来て、張りぼてをつくっていたんですよ。」まさに今、失われようとしている地域の絆がここには脈々と受け継がれているのです。「歴史と伝統の中に受け継がれていく精神」、言うことは容易いけれど、それを引きついでいくことの難しさは、若者を育てている私にも良く分かります。覚めている、しらけている、そんな世代の若者が多い中、真っ黒に日焼けした彼らが流す汗に感動しました。

私の選挙を手伝ってくれた若者が多かったこと、驚きました。そして今、地方選の公募にも多くの若者が手を上げてくれました。

まだまだこの日本、捨てたものではありません。熱くなるきっかけを彼らは待っているのかもしれません。

受動から能動へ

新聞を見て、驚いた。「ひきこもり70万人」「予備軍も155万人」。
・ひきこもり群:男性66%・年齢30歳代46%
・親和群(予備軍):女性63%・年齢10歳代31%
ひきこもりになったきっかけ
 ・職場になじめなかった     23.7%
 ・病気             23.7%
 ・就職活動がうまくいかなかった 20.3%
 ・不登校            11.9%
                 (内閣府調べ 複数回答)
以上が、全国の15~39歳の男女を対象とした調査の結果です。
調査数が5000人、その内回答が得られたのは3287人。これを15歳~39歳の総人口の3880万人にあてはめるために、単純に約1万倍しているので、信頼できる数字なのかは少々疑問ではあるが、多くの若者が苦しんでいることには違いないのです。

この数字を皆さまはどのようにご覧になりましたでしょうか?
年代によってその捉え方が違うのではないでしょうか。

この年代を超えてきた大人として見たら、根性が足りない、我慢が足りない、親が甘いからだという批判も大きいでしょう。親として見たら、自分の子どもはこのような兆候はないかしら、学校教育によるものではないかしら、予防するにはどうしたらいいのかしらとの心配が先にたつでしょう。自分の世代として見たら、「分かるな~。自分もそう思う瞬間があるよ」と同調するでしょう。

しかし、この数字を見て、明らかなことは、いまや、ひきこもりは、「個々人や家族の問題」などでは済まされない社会的な問題・社会的な病気だということです。

私も大学教員として、企業でメンタルケアにあたる産業医として、この問題は避けて通れません。特殊な人が「ひきこもり」になるのだろうと思ったら大間違いなのです。教員・産業医として、ひきこもっている個々の学生・社員と向かい合っている時には、普通の会話ができ、コミュニケーションもとれます。今は「普通の人間」がひきこもりになる時代なのです。

しかし、彼らに話を聞くと、本当に気持ちをぶつけなければならない相手には、自分の気持ちを開示することができないことが分かります。その相手とは、主に、親・友人・パートナー・身近な上司など、いつも一緒にいる相手なのです。

何も言わなくても分かってくれているはず、感じてくれて当り前、なぜ自分のことを理解してくれないのだろう・・・つねに受動的・受け身。「こう言ってみたらどうですか?」「ここを伝えてみたらどうですか?」提案をしますが、自分の意見を伝えた時の反応が怖くて、なかなかその一歩を踏み出すことができません。そこから大きなカギのかけ違いが起こり、溝が深まるばかりなのです。確かなことは、彼らも苦しんでいるのです。どうにかして脱出しなければと悩んでいるのです。

我々その時代を超えた大人が、今、若者から試されていると思いませんか?
我々その年代を超えた大人から変わっていきませんか?

彼らを変えることができるのも私たち。彼らを切り捨てることができるのも私たち。
聞く耳を持ち、若い世代のみなさんを受け止める器の広さが試されているのだと私は考えています。若者に「自らが動く」「何事にも挑戦する」背中を見せる時、襟を正すべきは我々なのではないでしょうか。

代表の知られざる一面

みんなの党の国会議員は、たった6名。選挙期間中、6名は連日、全国を走り回っていました。もちろん、愛知も応援してくださいました。また、最高顧問として田中秀征先生にもお世話になりました。

今日は、テレビでは見ることのできない「代表の姿」を、少々ですが披露してみます。
渡辺代表は、テレビでは「鋭さ」ばかりが強調されますが、細かい心遣いをしてくださる素晴らしい人格者です。そして、私が初めて選挙のノウハウを学ばせていただいた方です。

愛知県庁で初めて記者会見をした時のこと。記者の皆さまが代表にぶら下がりの取材。小さく私を手招きして、「自分から絶対に離れるな」と。質問に答えることもない私ですが、常に横にいて目に触れることが大切と教わりました。車に乗る時も、「すぐに窓を開けなさい」「手を振りなさい」。何も分からぬ私にはとてもありがたく、反射的にできるようになった今でも、代表のその言葉がいつも頭に浮かびます。

私が街頭演説しても同じ。誰にも聞こえないように、小声で「笑顔で」「もっと、こちらに寄りなさい」。演説に必死になる私に、どのようにカメラに写るのかを計算してくださいます。

もっと嬉しいことに、私が話している間、ずっと手を振りながら、私にしか聞こえない小声で「合の手」を入れてくださるのです。「そうだ!」「そうなんだ・・・」「よし!」その言葉に押され、ますます演説に力が入ります。代表と組む演説が一番調子よく、スムーズに口が回ります。演説の後にも、「よし、上手くなった」と小声で・・・嬉しいではないですか。

常に移動、移動の代表とは、話をする時間がありません。私が演説をしているところにいらしていただき、私が囲み取材を受けている間に次に移動なさいます。会話もアイコンタクト(目と目の会話)のみ。だからこそ、一言に思いを込めて、伝えようとしてくださるその「想い」が嬉しいのです。

そして、いつも感動するのが、演説の最後。私よりも深々と頭を下げ、なかなかその頭が上がらないのです。「実るほど頭を垂れる稲穂かな」その言葉そのままです。

皆さまから「渡辺さんが大好きなのよ」「この人いいね~」と言われると、自分のことのように嬉しくなる私。選挙戦に使った「喜美ちゃん人形」は、今でも事務所の太陽です。

手ごたえは?意気込みは?

今も、ボランティアの皆さまと、街宣活動を行っています。参院選後の活動報告はもちろんですが、応援していただいた53万人の皆様に直接お目にかかりたいと思い、シエンタ号で走り回っています。

この熱い中、申しわけない程、皆さまに手を振っていただいたり、笑顔を見せていただいたり。車の中からも頭を下げて「諦めず、挑戦を続けます。よろしくお願いいたします!」と訴えております。

そんな時、思い出すのは、マスコミの皆さまの矛盾した質問と対応です。
選挙戦に入ると毎日、どこかの記者さんやカメラが同行していました。そして、「手ごたえは?」と必ず聞かれるのです。いつも「手ごたえがないと言えば、応援していただいている方々に申し訳ないと思います」と答えておりました。「エッ、それだけ・・・」取材から、なかなか解放してもらえません。

個人演説会など設定できないみんなの党。ただただひたすら街頭をお借りして、交差点や駅頭、マンション前で政策を訴えておりました。通行している方がいてもいなくても同じことの繰り返し。走っている車に向かって聞こえていないだろうと思いながらもマイクに声をぶつけていました。

選挙戦が進むにつれ、だんだんと窓を開けてくださる方が増えました。手を振ってくださる方が増えました。「期日前、行ってきたよ」と声をかけてくださる方が増えました。ベランダから拍手してくださる方が増えました。これら一つ一つの変化を目の当たりにしていた私には、「この反応で当選できるかどうか分かりません」とは口が裂けても言えませんでした。「今は、皆さまのお気持ちに応えるためにも、必死に活動させてもらうだけです。」それが精一杯の回答です。

そして、もう一つ。選挙戦終盤になると、「今後の意気込みを!」とカメラを向けられます。これに対しても、何度も同じことを申し上げました。
「後は自分との戦いです。」

しかし、マスコミの皆さまはそれで満足しないのです。「もっと、何かないですか?他陣営のことなど・・・」「絶対に当選してみせるとか・・・」

正直言って、みんなの党にとって、選挙は他候補との戦いではなく、「組織VS(対)自律した個人」の戦いなのです。「自律したお一人お一人に支えていただく政党」それがみんなの党なのです。だからこそ、自分がどれだけ魅力的なリーダーでいられるのか、そして政策を分かりやすく皆さまに説明できるのかが「当選の門を開くカギ」なのです。組織を揺るがし大きな穴を開けるために、みんなの党には「自分」という武器しかないのです。

実際に選挙を戦ってみて分かりました。組織がない中、戦うことは、想像以上の度胸と覚悟がいります。選挙に対する考え方ややり方が今までと全く違うことを、周囲に理解してもらうだけでも大変な作業です。マスコミの皆様にも御理解いただけるまでまだまだ時間がかかりそうです。

忙しくてテレビも新聞も見ている暇がありませんでした。どんな報道になっていたのでしょうか?皆さまには、みんなの党の思い、薬師寺の考えが伝わっていたでしょうか?不安の中、スタイルを変えることなく、今日も街宣は続きます。

政見放送の舞台裏

政見放送をご覧になった方、あまりの緊張にこわばっている顔に驚かれたことと思います。
放送中にも、「なんであんなに地味な格好で・・・」などのお電話をいただきました。そんなに反響があるとは思わなかった、初めて経験したドキドキ政見放送の舞台裏について、書いてみたいと思います。

政見放送は、NHKと民放の2本撮ります。各持ち時間は5分半。短くてもいいのですが、長い場合には、5分半で容赦なく切られてしまいます。

私は時間もなかったので、同じ日の午前・午後にお願いしました。それぞれスタジオに行き、メイクからスタートします。ポイントメイクをした後に、髪の毛を整えてもらい、早速スタジオ入り。「私はニュースキャスターか?」と思うセットの中。カメラの前に座り、ひたすら見えないカメラの向こうの有権者の皆さまに、語りかけることになります。

実は、とても厳しいルールがあるのです。テレビの中では、平然と話しているように思われるかもしれませんが、チャンスは1回だけ。その大きなプレッシャーの中で戦いながら笑顔で(?)話さなければなりません。

一度だけ、試し撮りをすることが可能なのですが、その試し撮りの確認をすると、そこで終了。二度と撮ってはもらえません。「しまった・・・」「駄目だ~。」と思ったら、確認せず、すみやかに本番の撮影へ。しかし、そこで泣いても笑っても失敗しても、本番一回しか撮ってもらえません。

私は、当日までとても忙しく街宣をこなしていたため、原稿を考える暇もなく、当日を迎えてしまいました。朝の駅頭の際に、一通りの「朝街頭用の演説」を計ってもらったら、2分半。「これに少し継ぎ足せばいいのか・・・」位に思っていた私。いつも手厳しい事務局長も、「原稿なんてなくても、大丈夫だよ~。街頭のつもりで話せば。」となぜか楽観的。

スタジオ入りすると、テレビ局のスタッフがびっくり。「原稿ないのですか?」多くの候補者は、原稿を読むため下を見たままになるか、大きなフリップをカメラの下に設置し、お付きの人がそれをめくりながら話すそうです。いまさらそんなことを聞いても後の祭り。

そんな中、事務局長は「NHKはNHK用に少し真面目に撮ってみたら?」「そんな芸当などできません!」

NHK試し撮り。「3回かんだ。国家経営の大リストラを国家経済の大リストラと言い間違えた」事務局長のダメ出しで、速やかに本番へ。最後、ちょっと焦ってしまい、失敗。でももう後がありません。

午後の民放用の撮りの時にも同様のルール。しかし、今度は「民放用」に少し砕けて語りかけ口調にしてみました。ちょっと余裕ができたころには、撮影終了。
NHKと民放、見比べていただき、いかがでしたでしょうか?

「実物の方がいいわ~」と街頭で言われること度々。政見放送やテレビカメラは今でも私のトラウマ(心の傷)です。

なぜ、ある日、薬師寺は戦う女になったのか・・・

私自身、マスコミの方に「演説は男だ」と言われ、大変なショックを受けてしまいました。
「違うよね~。十分女らしい話し方だと思わない?」
「分かってないな~。候補は、マイクを持つと、人がかわってしまうんですよ。」
「エッ、そうかな~。言葉も直らないんだけど・・・」

公示日前、スタッフにも何度も注意されていたのですが、結局最後まで全く直らなかったのは「言葉づかい」でした。親しみやすいように、以下の2点は注意しろと迫られたのですが、最後の最後まで、駄目でしたね。

「私ども」 → 「私たち」
「わたくし」 → 「わたし」

早口言葉のように、何度も練習するのですが、いまだに直りません。
「私どもみんなの党は・・・」マイクを握ると、意識が全く飛んでしまうのです。自分では知らず知らずのうちにいつの間にか、必死で自らの思いをマイクにぶつける日々が続いていたようです。

そして最終日近くなると、「迫力があり過ぎて怖い・・・・」とまで本部車に乗ってきた党本部のスタッフに言われ、ショック。

挙句の果てに、自称「口が悪い江田幹事長」にまで、「最近、薬師寺の口の悪さが移ってしまったよ(笑)」とまで言われてしまいました。トホホ・・・

なぜなのか、それは一緒にいた人間は良く分かっています。
象徴的な場面がある日の栄交差点。

交差点4つの角をそれぞれの政党が陣取り合戦。ティファニー前「自民党○○前総理大臣来る!」、三越前「民主党○○大臣・○○大臣来る!」。党の大きな街宣車数台で地方議員や現職の国会議員が多数詰めかけ、ものすごい勢いで呼び込みを始めていました。

そこにUFJ前に横付けしたシエンタ号。降り立ったのは、私とボランティア4人。「みんなの党」の旗を自分で立て、自民や民主のスタッフに「邪魔だ。退け。」と言われながらも、30分、ボランティア4名に囲まれ、マイクを持ち、ひたすら一人で政策を訴え続けました。

みんなの党は国会議員6名。本部の大きな街宣車、全国で2台。なかなか愛知には回ってきません。

マイクを誰に代わってもらうこともできず、ひたすら「無名な薬師寺一人」で各党の大物議員とマイク一本で戦ってきたのです。

マスコミの方からも、「他党は応援団として、大物議員が日々入れ替わり立ち替わり愛知に入りますが、羨ましいと思いませんか?」と質問されていました。答えは「NO!」

ここまで話せるようになったのも、みんなの党の代弁者として愛知を任されたというリーダーとしての自覚ができたのも、このような環境下だったからこそ。私だけではありません。ボランティアも一歩も引かない「他党には負けない誇り」が「みんなの党」の支えでした。
明日に続く・・・・

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プロフィール

薬師寺道代
(やくしじみちよ)
参議院議員
医師
(専門:生命倫理・医療政策・緩和医療・医療コミュニケーション)
NPO法人 からだとこころの発見塾 理事

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